うちの風景
友情:心で育てること
植物は 芽を吹き、根を張り、花を咲かせる。花を咲かせるまでにはいくつかの困難を伴うし、深く太い根を張るほど強い。友情も、植物のようなものではないだろうか。
母が公園デビューという形で、わたしの中に友情という概念の種が蒔いてくれたのは、もう何年前のことだろう。それから約20年、年齢とともに少しずつ形を変えながら成長してきた。
幼いころの芽吹いたばかりの友情は物理的に同じだったり、思考的に近いということで育まれたように思う。中・高生になるとその危うさに気付き、時にその脆さに愕然とし、もっと内から強く頑丈なものであってほしいと願った。映画や小説にみる壮大な友情物語に影響を受けてドラマティックな展開に憧れたし、夢見がちなこともたくさんした。段階ごとに様々な色・形をした思い出の花をつけてきましたが、最近本当に小さなことで根っこの部分が太く逞しくなった感覚を覚えた。
それは学内で久々に会った友だちと生協の前で立ち話をしただけの、24時間のうちのほんの5分間の出来事であったが、別れの未練もなく「じゃあね」とすぐに解散する爽快さに追ってくる優しい温かさがとても心地よくて、新鮮だったのだ。わたしたちはお互いのことを思って繋がっているという心強さは、確実に根を肥やす。
物理的距離が遠くても、となりに感じることができる。顔を浮かべることができる。心が温かくなる。そんな友だちの存在ほど強く頼りになるものはない。友情がその人たちのことを想う気持ちだとしたら、こんなに素敵なことがあるだろうか。何も分からぬまま蒔かれた種が自分の中にしっかりと根を張ってくれていることが嬉しい。芽生えたその気持ちを大切に、花が枯れないように、また新たな花をつけ続けられるように育み続けたい。
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今日はだから、ラッキーだったな。記憶の彼方、うもれて見えなくなってた嬉しいをひとつ、また呼び戻した
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ネガティブな記憶の方が残りやすいっていうけど、ふとしたきっかけで思いだす嬉しかったことや楽しかったことがやっぱりちゃんとあって。それがわたしを今日まで動かしてくれてるって思う